自己紹介
序
変わりゆくネット界の中で唯一不変である自己紹介とは一体私たちにとってどのような意味を持っているのだろうか。私はこの答えを中国の歴史の中に求めることにした。
「自己紹介」は元々「似胡椒貝」と表記した。これは古代中国後漢の時代の故事に由来する。
乱れに乱れる世の中、その頃の漢王朝の皇帝には既に雄大な中国全土をまとめることはおろか、長安の人々への影響力すらほとんど消え失せていた。偉大なる高祖・劉邦の死から350年あまりが過ぎ、漢王朝はまさに風前の灯火の状態であった。
弱冠14歳の皇帝・蒼帝は一人悩んでいた。私は今「弱冠」と形容したが、当時の王宮の事情を鑑みるとやや語弊があるかもしれない。宦官の強大な権力により政治は動かされ、彼らの意のままに動く幼帝が擁立された。蒼帝も例外ではなく、見事な傀儡皇帝であった。自分の立場について、彼は強烈なジレンマを感じていた。宦官の協力(実情は異なるが)がなければ立場を維持することができない。しかし宮廷での宦官の横暴は目に余るものがある。私は立ち上がるべきだ。しかし・・・。
葛藤は我が勝った。蒼帝は策を練った。
「今夜は大きな宴を開きたい。陳溌殿、私は剣舞を舞うつもりであるが、一人ではどうにも寂しきもの。いかがかな。」
宦官”三鳳漢”の一人・陳溌は二つ返事で了承した。
日が沈み、いよいよ宴が始まった。蒼帝は深呼吸をし、席に着いた。
ふと、卓に目をやった。そこには大きな七面鳥、中国全土から取り寄せた珍味など、皇帝であっても目が眩むような物が乗っていた。
しかし、その中に一際地味な品がある。蒼帝は眉をひそめた。
・・・確か、これは「コショウガイ」でなかったか。灰色の殻とまだら、きっとそうだ。
コショウガイは調味料として使われる。焼いて身を粉にし、胡椒のようにまぶす。蒼帝は肉に粉を振りかけ、食した。
時が経ち、剣舞の時間となった。蒼帝と陳溌は剣を抜き立ち上がった。
蒼帝は息を潜めた。隙があらば陳溌を切る、剣の腕に覚えがある蒼帝は自信があった。
ところが、である。立ち上がった瞬間、酷い目眩に襲われた。そして陳溌の向きへよろめいてしまった。陳溌の剣が蒼帝を貫く・・・。
剣は心臓部を貫いていた。幾分もしないうちに彼は絶命した。
人々が呆然としているとき、料理番が蒼帝の座っていたあたりの卓を見て驚いた。彼の後に続き人々も驚き、また嘲笑した。
蒼帝が「コショウガイ」だと思った品は実は毒のあるキノコであった。笠が閉じている様を彼は貝と勘違いしたのである。このキノコは宴終了後、床につくとき睡眠薬代わりとして使われる物だったのだ。
人々は哀れな幼帝の無知を笑った。それからそのキノコは「似胡椒貝」と呼ばれるようになり、蒼帝を紹介する上で書かせないエピソードに登場する(自ら自分語りのエピソードを作ってしまった)ことから「自己紹介」の意味へと変わっていったのである。
民明書房刊「中国史を紐解けばネット界の本質が見えてくる」より
・・・ハイ、最初から大ボケかましたM氏(男)です。
生まれは宮城県気仙沼市、1988年9月のこと。B型で趣味は競馬。ノブヤボ初プレイは小学2年の時のGB版でございます。
リア厨ということもあり、少々背伸びしたい習性があるようで、色々な物に手を出しては失敗を繰り返している奴であります。
こんな奴ですが、どうか見捨てないでいただきたいと。
中高生サイト管理人への100の質問に答えてみた。それが夢だった。
M氏がサイトを開くまで
2001年春にPC購入。まもなくネットの世界へ。最初期はパ○プロ系サイト巡りという典型的厨房の道を辿る。
当時はかなりのワル。荒らし、自分が立てた古いスレを意味もなくageるなど悪行は数知れず。
半年後某所を知る。初日からキツイ洗礼を受けた。
その後はほぼROM専門に。2002年初夏ごろから信長の野望系サイトに居着く。それから、多くの良サイトさんを拝見した。
ふと、「サイト管理人」という立場で信長の野望系サイトの世界を見てみたくなり、2003年4月19日にサイト公開。
当時のコンテンツは蒼天録新武将のみであった。あれから7ヶ月。多くのサイト管理人の方々とROMの方含めての参加者の方々のお力添えに感謝いたします。
(2003年11月19日記)